被災地支援短期派遣ボランティア活動報告

石巻からの手紙

被災地での活動において重要なのは、外から来たボランティアと一緒になって動いてくださる現地の方々の存在です。ご自身も被災して厳しい環境下におかれたにも関わらず、ボランティアを受け入れ、地域住民との橋渡しをしてくださった方々がいたからこそ円滑に活動することができました。
石巻市にお住いのお二人から、ボランティアのみなさんに宛てたお手紙をお預かりしましたのでご紹介します。

石巻市中央 阿部紀代子さん(51歳) ようやく再開を果たしたお店の前で従業員と

お久しぶりです。お元気ですか?あの日から今日で2年3ヶ月になります。沢山の事がぎっしり詰まっていて、それでもアッという間でした。お蔭様で街はあの頃の面影が薄れ、一見きれいになっています。建物の解体が進み、この街に生まれ育った私自身も初めて目にする光景が広がっています。
みなさんが街を少しずつきれいにしてくれたあの頃、真菜美ちゃんの提案で日曜日の夕方に商店街でお買い物をして頂く企画始まりました。はじめは、路肩に長テーブル、空地に段ボールでしたが、その後少しずつお店が増えて観慶丸さんやかめ七さんをお借りして定期的に開催されるようになって・・・。これが本当に力になりました。この企画で本来あるべき自分たちの姿が見えてきましたし、もう一度お店をやろうと思った方もいます。商店街は残ったお店が頑張っています。
一方では、抱えきれないほどの問題が山積みになっています。街の中心部は、再開発を始めとして橋の架け替えやら、道路の拡張などの話が具体的な姿を見せてきています。それでもあの日あの時全く縁もゆかりもなく、ただ被災者であるということで手を差し伸べてくださった沢山の皆様の「思い」を感じると「このままでは終われない」。皆さんに今度は遊びに来てもらえるような、一緒に振り返ることのできるような、そんな街にしたいと頑張っています。
私も一年前にお店を再開することが出来ました。皆さんに応援して頂いたからこその再スタートでした。お陰様で、八幡家は今年の創業100年を迎えることができます。自分でも信じられません。ボランティアの方たちと一緒に作業をしているときに、「100周年には遊びにきてね」と言っていたこと、忘れていません。もし、この手紙が届いたら是非遊びに来てください。あの頃、マスクだったり帽子だったりで、おひとりおひとりのお顔をきちんと覚えきれていないこともあります。それでもあの日の思いは、今の変わらず自分の中にあります。どうぞ、「あの時のわたしです」とお声をかけてください。いつでも、この街で待っています。

石巻市住吉町 毛利 壯幸さん(46歳) 今でも繋がり続けているボランティアのみんなと

「ういーッス!」「おはようございま~す」「あ!この間はありがとね」「こっち寒いでしょ?」「この間よりあったかくなりましたね」「なんですかぁ~フェイスブックのあの写真(笑)」・・・。などという、他愛もない会話が週末の朝に繰り広げられます。その相手のほとんどが、あの日以前は顔はもちろん、名前すら知らないあなた達でした。
震災後の泥だし、側溝清掃などに象徴されるようなボランティア活動に一定の区切りが見えてボランティアバスの派遣が終了した後も、みんなは変わることなく石巻に帰って来て、自分たちでいろいろな活動を続け、そこにも、地元の私は加わらせていただきましたね。
みんなと出逢ってからちょうど一年後の2012年6月、そして二年後の2013年5月と、住吉公園と大島神社の境内を早朝から町内の老人クラブの皆さんと一緒に清掃、その後は公園内の応急的に修繕された公民館を会場に、私たちとみんなで「お茶っこ同窓会」を2年続けて開催しましたね。みんなで案内状を手に一軒一軒お茶っこへお誘いしました。
特に今年は、「巻石」とともに住吉公園のシンボルともいうべき「雄島」の清掃を被災後ようやくすることができました。それと、河川堤防の整備によって神社・公園界隈の景観が変わるからと記念の住民の写真撮影会をして、フォトフレーム作りもやりましたね。地元住民としてとても感慨深く心に残っています。こういったことは、どれひとつとってもみんながこの地に思いを持ってくれたからこそできた事です。
そうした時間を「共に」過ごすうちに、私の中に新しいコミュニティが生まれているのを感じました。これまでにはなかった形のひととのつながり。たぶんそれは、みんなの中にも生まれていたのではないでしょうか。
日曜の夕方、ろくにお別れの挨拶もできないまま、みんなは数台の車に分乗して東京を目指して行きました。そしてまた次の週末・・・。
私たちはこれからこの新しいコミュニティを、ゆるーくながーく育んでいけるといいですね。どうぞ、よろしく。いつまでも私はこの街にいますから。