ap bank
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ひとりがひとりのまま、つながれる可能性 Resonance of ap bank fes'05
未来バンク事業組合 理事長(ap bank監事)
田中 優
【心地よい波紋】
翌朝仕事のあるぼくは、最終の新幹線に間に合うように少し早く会場を後にした。しかしそれでもたくさんの人々がバスに並び、駅には溢れそうなほどの人が待っていた。会場からのバスは六台ずつ発車するという大掛かりな仕組みで運行されていたが、それでも会場を埋め尽くしていた2万人の観客を送り出すには十分とは言えず、数十分を埃だらけの中で待たなければならなかった。
しかしそれでもいつものコンサート後の雰囲気とは全然違う。普通なら苛立って怒っている人が出てもおかしくないのに、人々はなんとも穏やかにしている。新幹線の中でもそうだ。喋り続ける人もなく、何か大切なものを慈しむように、静かに想いに浸っている。実際、ぼくにとってもそうだった。ライブを聴き終えてから一週間、ぼくの頭の中にはずっと音楽が流れ続けていた。それは「音楽」というよそ者ではなく、心臓のリズムのように内側から流れ出てくるものだった。
 
「何度でも 何度でも
 僕は生まれ変わって行ける
 そうだ まだやりかけの未来がある」 (Mr.Children「蘇生」より引用)
 
このイベントがもたらした内側に湧き起こる感触を何と表現したらいいだろうか。「可能性」?「勇気」? その音楽は、いつものように感情の表層を流れゆくものではなかった。連帯というのでもない。ひとりはひとりなのだ。しかし隣の人の中にも振動があって、ぼくの中にも同じリズムの振動がある。それが共振する。まるでサッカー選手がシュートのタイミングをはかるみたいに、自分の役割が腑に落ちて感じられる。
「ああ、これならぼくにもやれることがある」
Resonanceという、こなれなかった言葉が、ふと実感を持って感じられる。
【共振の場】
ap bank fes'05は、静岡県掛川市にある「つま恋」という、広大な敷地と自然環境を持つエリアで行われた。隣の敷地とは茶畑で自然につながっている。敷地の中には昆虫や動物の棲む山があり、一転してなだらかな芝の丘がある。日本的な場所であるのに、ニュージーランドのような開放感がある。
そこに「オーガニックフードエリア」と「ライブステージエリア」が配置されている。ライブエリアで音楽を楽しむ前に、遊び、食べ、買い物し、休憩し、会話する、生活そのものを感じる「オーガニックフードエリア」の時間がある。そこには巨大テントが設置され、数百人が一度に「トーク」を楽しむことができる。トークの時間帯はライブと重なることもないから、焦って聞く必要もない。トークの始まりは、毎日小林武史さんが務め、その後にGAKU-MCさんの司会による対談がつながる。つくづく小林さんはウソ臭いことを言わない人だ。そのせいか、その後の対談もおざなりな建て前のエコ論議にはならない。司会のGAKUさんの率直な問いが、肩の力を抜いていくのだ。
「オーガニックフードエリア」は食べ物だけでなく、ap bankが融資してきた環境プロジェクトの紹介ブースや、オフィシャルグッズ販売ブース、フェアトレードのお店、エコ貯金やごみ、自然エネルギー(以下「自然エネ」と呼ぶ)を伝えるブースもある。ここにもまたたくさんのメタファーが隠されている。たとえばオフィシャルグッズで言えば、再生ペットボトルから作られたTシャツや、ベンベルグというエコ素材を用いたタオル(※ベンベルグとは、綿花の花でなく、種の部分を使用し資源を有効活用できるエコ素材。有機物なので土に還る。)が並んでいる。もしなぜと問うならば、環境破壊や人々への深刻な被害を知ることになるだろう。たとえば綿花はアラル海を干上がらせ、周囲の子どもたちを農薬被害で死に至らせた原因だ。
会場の電気は、すべて自然エネからの電気を買っている。電気そのものは原子力も化石燃料も自然エネと混ざってしまうので、分けることはできない。しかし風車や太陽光発電が作った電気の量だけを、厳密に計算することはできる。自然エネの電気は今のところ普通の電気よりもコストが高いので、その高くついた分を「グリーン電力価値」として、その分だけを買うことができる。電気は普通に引く。自然エネの「グリーン価値」だけを別に買うことで、自然エネルギーを導入してくれた人を支えられる。これが「グリーン電力認証」で、いわば混ざってしまった毛糸玉の中から、緑の糸だけを引き出して買う仕組みだ。これによって自然エネを応援し、電気の環境負荷を避けることができる。
会場内のごみも、分別ナビゲートを行うボランティアが手伝うだけで、基本は来場者自身が自分で処理する仕組みになっている。最初はペットボトルのふたやシールをはがして別な箱に入れるのに面食らうが、慣れると次第にふつうのことになる。
融資先のブースはさらにユニークだ。たとえば市民が作った「生ごみから燃料ガスと、液体肥料を作り出すプラント」がある。普通なら一億円かかるこのプラントが、たった160万円ほどで作られている。しかも特許で隠すのではなく、逆に広めようとしているのだ。また「残飯の処理と、広葉樹の森の再生を兼ねた豚の放牧」というのもある。テレビで櫻井さんが訪ねて行った場所だ。豚舎に入れられ、まるで工業製品のように生産される豚と違って、ここでは豚それぞれに表情がある。その豚のソーセージが売られ(ただし生産量が少ないので多くはないが)、子どもたちによって豚が耕した荒地が植林される様子が伝えられる。他にも本格的な伝統木造住宅と自然エネルギーの組合せで、外側からのエネルギーをほとんど必要としない住宅があったり、マーシャル諸島の人たち自身の発意に協力し、エコリゾートを実現する試み、誰も損をしない省エネ製品への買い替えの実現など、それぞれに顔のあるプロジェクト並ぶ。ap bankの融資先は「なるほどこんな方法があったのか」と思わせる、独創的で未来を感じさせるものばかりだ。
広大な敷地にこうした仕掛けがある。しかも他のfesと違って、トークの会場もライブ会場も一つだけ、互いに邪魔しないタイムテーブルになっている。べつに隣の人と手をつなぐわけじゃない。しかし一体感がある。たとえばライブ終了後の会場は、二万人が集まっていたというのにごみ一つ落ちていなかった。実際、風に吹かれて飛んできたごみを誰かが拾っているのを見た。ぼく自身が拾ったわけじゃない。だけどぼくの気持ちの中では、その誰かがとても親しく感じられるのだ。
こんなことをしようとする人たちがいる。彼らは押しつけるつもりもなく、一人の人間として自然にやっているだけだ。その人たちが急に親しく感じられる。それがResonanceなんじゃないかな、と思う。
【非連帯、非同化】
小林さんは「音楽には魔法がある」と言う。それは「体験」に近いものかも知れない。たしかにぼくらはオーガニックの食べ物が体にいいことは知っている。しかし食べてみなければ実感しない。大事に作られた食材が、調理する人にとっても大事にされるとき、本当においしくて、体が必要とするものになる。客観的に「おいしい」というよりは、体が内側から欲する感触だ。たとえばフェアトレードのようなものが、世界の貧しい人たちへの手助けになることは知っている。しかし使ってみなければ実感しない。その知識と体験との差を埋め合わせるのがResonanceなのだ。
「粘菌」という生物がいる。普段はそれぞれが勝手に暮らしているのだが、水分がなくなったりして危機に瀕すると、一定のリズムで粘菌が集まり始め、それぞれが必要なパートを担いながら、きのこを構成する。そのきのこは再び胞子を飛ばすことで次の世代を作り出す。同質化して全員で同じことをするマスゲームと違って、それぞれが自分のパートを担うことで成立するのがサッカーだとしたら、粘菌はサッカーに似ている。それぞれが自分のパートを担うだけで、同じものになろうとするのではないのだ。
ライブはその集大成になっていた。これまで理屈で説明して分かってもらえなかったことが、すんなり実感として伝わってくる。ap bank fes'05は、「共感を作り出す場」として機能し、だから参加した人々は勇気を鼓舞されるような感動に包まれたのだろう。
そのことは櫻井さん自身にとってもそうだったはずだ。櫻井さんにとってap bankは一人の個人として参加しているものだ。だから人気バンドであるMr.Childrenとは別なものとして、常に気遣って活動してきた。今でこそap bankは認められているが、単なる金儲けだとそしられる心配もあったのだから。しかも、そもそも櫻井さんは人に影響を与えたいと思うタイプではないし、人を誘うことすらできそうにない人だ。ところがMr.Childrenのメンバーの発意で、このfesにバンドとして一緒に参加することができた。長年一緒にやってきたMr.Childrenメンバーと共有できること、それが彼にとっては何よりうれしいことだったのではないだろうか。
【世界初】
小林さんはライブ終了の挨拶の中でこう述べている。
「お金がぼくらを縛ってます。縛っているお金を少しでもいい方向に使うべきだと思うので、これからもap bankは頑張ります」と。
実際、ぼくらの貯金は望んでいないような未来に向けて流れ込んでいく。たとえば環境を破壊する開発であったり、戦争であったり。たくさんの人たちが死に続けているイラクへのアメリカ軍の攻撃も、ぼくらの貯金が政府短期証券、アメリカ国債を経由して支えてしまっている。イラクではたくさんの人が殺され、墓場すら作るゆとりもなく死者がサッカー場に葬られて墓地と化したという。サッカー場がそんな場所に使われるとは、なんと皮肉なことだろう。
そしていつからか、ぼくら自身もただカネのために働くようになった。カネを使っているつもりでカネに使われているのだ。確かにぼくらはカネに縛られている。しかしぼくらはそんなカネの使い方を望んでいない。お金で加害者になるのではなく、それを使うことで人の手助けをしたいのだ。

「駄目な映画を盛り上げるために
 簡単に命が捨てられていく
 違う 僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ」 (Mr.Children「HERO」より)

ならば逆に、カネを使って新たな未来を作っていくことができないだろうか。それが今、始まったばかりのap bankの試行錯誤なのだ。
ぼくは思う。このようなイベントが、ミュージシャン自身の手で、ミュージシャン自身の発意によって行われたのは世界初のことではないかと。これまでは、キャンペーンの協力や人寄せにライブをすることはあったが、そこには必ず別な企画者がいた。ところがこのap bank fes'05には彼ら自身しか存在しない。ぼくは小林さんから「黒幕のような人」と紹介されたが、断言してもいい。ぼくはきっかけになることはあったとしても、何もしていない。むしろ手伝いたいと何度思ったことか。
しかし小林さんと櫻井さんは、このようなイベントを成し遂げた。しかも彼ららしく、関わったすべての人たちの自発的な発意に基づいて成功させた。そう、参加してくれたミュージシャンだけでなく、ぼくらも単なるお客さまではなかったし、同化させられる「人材」でもなかった。ただひとりの人間として、ひとりのままに他者と共有する場所と時間を得て、他者とつながれるきっかけを得たのだ。だからぼくらは押し黙るようにして、帰路の道すがら、複雑な思いを抱えていたのではないだろうか。
そう、ぼくはここに希望に満ちた光を見た気がする。ぼくがわがまま勝手で性格に問題があって、人と一緒にやることができなかったとしても、そんなぼくにも役割は見出すことができそうだ。同化するのではなく、ひとりのままで、共に共振していくことが許されるならば。
Resonanceという言葉が、今、少しだけ理解できた気がする。次のResonanceのときには、自分のできるパートを見出しておきたいと切に願う。
お花を植えました。
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