日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
2009.11.26 Thu
内山節さんの新書、
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
を読みました。
内山さんは、かつては釣り竿をかつぎ
さまざまな山村に滞在し、
いまでは一年のうちの半分を群馬県の山村、
上野村で過ごしています。
山村にいると、キツネにだまされたという話が
ありふれた話といってよいほどよく聞くといいます。
キツネだけに限らず、タヌキ、ムジナ、イタチと
日本人はだまされ続けていたようです。
しかし、キツネ(タヌキ、ムジナ、イタチ含む)にだまされた話は
いずれも1965年以前の出来事で、
1965年を境にピタッとそういった話はなくなるそうです。
彼はその体験を元に
キツネにだまされなくなった理由を探し始めます。
たとえば、日米戦争から。
この戦争において日本は
アメリカとの「物量」の差を埋めるために、
神の国である日本は「神風」が吹いて守られる
という語りを広めながら、惨敗を喫します。
この事実を通して、戦前には通用していた
非科学的な考え方への信頼は没落し、
戦後は科学的に説明できないものは
すべて誤りという風潮が広まり、
それとともにだまされなくなった、という説。
または、農業の変化から。
かつては、人々は主として農業にたずさわり、
生活のなかで蜂の巣のつくり方から台風の来方を予想し、
虫の行動の変化から雨が降るかどうかを予想することを
当たり前に行っていました。
しかし1960年代に、農薬が普及し被害が農薬の力で
押さえられるようになるとともに、
「働きに出る」ことで主たる収入源を稼ぐ兼農業化も進んだ。
そのため自然を読む必要がなくなったから、
キツネにもだまされなくなったという説。
キツネにだまされたという話自体の真偽はともかく、
そこから調べていくと、
キツネにだまされなくなったのと時を同じくして
人間の生活や考え方は変わってしまっていき、
自然との関係が希薄になっていったことがわかってきます。
つまり、キツネにだまされなくなったとしたら、
その理由の一つには、
自然を身近に感じられなくなった
ということが大きいのではないか、
と内山さんは言います。
「キツネが人間をだましていた時代とは、山の自然と人間との間にそういう関係があった時代でもあった。人々は自然を信頼していた。そして自然を生きる糧にするだけの能力を人間たちはもっていた。」
私たちはいくつかあるうちの
一つの局面(たとえば科学)の中でよくなったことを、
全面的に前に進んだと錯覚しながら、自然からどんどん離れ、
自然と交流する能力もなくしてしまっていたのです。
キツネにだまされなくなったのは1965年のことですが、
同じようなことは、今もどんどん起きている気がします。
例えば、パソコンが発達して、
一つの作業に何時間もかかることはなくなった反面、
パソコンが故障したとたん、
パソコンなしには何もできなくなっていることに気づきます。
だまされないように賢く、時間がかからないようにより効率的に、
という進歩の陰で見えにくいけれど大事ななにかは
常に失われている気がします。
本書は、キツネや自然の話から歴史の話に展開し、
日本人の変化を追っていきます。
興味のある人はぜひ手に取ってみてほしいですが、
自分に身近な変化に向かう際に、
少し立ち止まって考えることができれば、
一方で失われていくものが見えてくるのではないでしょうか。
そしてもし大事なものが失われていくのだとしたら、
一人一人が失わない選択をすることこそ、
いま必要なのだろうと思いました。
(ei)





